水戸・平和の像

駅南平和公園;水戸市城南2-13 (水戸駅南口)


平和の像「碧翔(へきしょう)」は、戦争の悲惨さを語り継ぎ、再び戦禍のない世界を希求する水戸市民の平和の象徴として創設されました。

水戸・平和の像「碧翔(へきしょう)」

2008/02/08撮影

平和の像「碧翔(へきしょう)」

第二次世界大戦の終焉から、日本は戦争のない平和な社会を築いてきました。水戸のまちは、水と緑の美しい自然に恵まれ、都市文化と伝統文化の融合した歴史あるまちとして育まれてきました。しかし、現在の平和な社会の礎には、多くの尊い命を失った、戦争という歴史があったことを忘れてはなりません。

水戸市民もまた戦争と無縁ではありませんでした。ある者は銃弾にたおれ、またある者は肉親を失い、数多くの悲劇を経験しました。第二次世界大戦末期には水戸のまちも戦災にあい、艦砲射撃・機銃掃射・焼夷弾攻撃により多くの死傷者を出して焦土と化しました。昭和20年8月2日未明アメリカ軍のB29による空襲は、水戸市民へ大きな衝撃を与え、その惨劇は今なお語り継がれています。

平和の像「碧翔」は、平和を願う多くの市民と水戸市が共同し、戦争の悲惨さを語り継ぎ、再び戦禍のない世界を希求する水戸市民の平和の象徴として創設したものです。

像の前に築かれた記念碑の前部には、水戸空襲や艦砲射撃の戦災で犠牲になられた370余名のお名前を記帳した「水戸市戦災犠牲者名簿」が納められています。

水戸市

平和の像について

水戸市は、日本国憲法に掲げられた恒久平和主義の理念に基づき、唯一の被爆国として二度と戦争の悲劇を繰り返さない願いを込め、昭和60年7月「核兵器廃絶平和都市」を宣言いたしました。この宣言のもと、私たちは市制施行100周年に当たる平成元年を機に、改めて永遠に戦争のない平和な世界の実現に向けて努力することを誓い、その心の表象を市民の拠金と水戸市との共同事業により、平和の像として建立することといたしました。

幸いにも、私たちの願いは賛同の輪となって幾重にもひろがり、ここに念願の平和の像設置をみるに至りました。
像は、平和を希求する市民の心と未来に向かって飛躍する水戸市を表現したもので、空を飛び、陸を駆け、海に潜ることができる万能の力を有する不死鳥(フェニックス)に生命の源である乙女が座し、平安の彼方、宇宙に向かって飛翔する姿を表しています。

平成3年8月1日 水戸・平和の像を建てる会 (関何沖書)

雑記
水戸戦災を記録する会・戦災遺族会のご努力で戦災46周年に建設された「平和の像」は、くろばね商店街(北口)の反対側、水戸駅南口から歩いて10分位の駅南平和公園にあります。
広い公園とすばらしいモニュメント(平和の像「碧翔」)ですが、公園設計時になぜ広い公園の奥隅に「平和の像」を置いたのか疑問に思いました。(※水をひく関係なのでしょうか?) 近くに行って見ると「像」は前後左右どこから見ても美しく、観光地にしても良いくらい見事な作品なのです。しかし、すぐ後ろにある
植木に「像」が同化して、遠く(入り口)からは見えにくく、また写真撮影にも不向きな背景になっています。本当は公園の中央に置いても良いと思うのですが、せめてあと10メートル位手前にあれば、立派な「平和の像」がかなり目立つのにと残念に思いました。
くろばね商店会木村功

「平和の像」詳細は水戸市HPでご覧下さい。地図  周辺広域地図

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